中学生闘病記

中学生闘病記④ 闘病生活の始まり 入院に伴う家族への大きな負担



なぜ私が即入院となったのか
先生は、なぜ家に帰ることを許可してくれなかったのだろうか

 

身体の上半身が異常に浮腫み、
仰向けはもちろん、身体を横にしても息苦しさを感じていた私
レントゲン写真をとったところ、
肺に大量の水が溜まっていた

 

原因は特定できていなかったが、
徐々に肺に水が溜まり、
いつ呼吸困難に陥ってもおかしくない状況だったようだ
いつ死んでもおかしくなかい状況にまで追い込まれていた

 

「よくここまで我慢していたね」
レントゲン写真をみて驚いた先生

 

 

入院の翌日には、肺の水を取り除く処置が施された
背中の後ろから太い注射針を肺に向かって刺しこみ、
肺に溜まっていた水を抜くというもの

 

数人の看護婦さんに動かないように身体を押さえつけられ、
今まで経験したことのないような痛みに耐える
泣き叫びたい気持ちを押し殺し、
必死で耐えた記憶がある
何とも恐ろしい日々の始まりだった

 

とはいえ、肺に溜まった水を抜いたことで、
仰向けで寝られるようになった
やっとまともに寝れるようになった
仰向きで寝れることにほっとしたことを覚えている

 

一方、母はというと
娘の私が入院したことで
ショックのあまり食欲もなくなった
心配で日に日にやつれていった
入院している私のほうが母の体調に不安を感じたほどだ

 

当時、正社員で仕事をしていた母
職場には事情を話し、
数日間休みをとり、病院で寝泊まりしていた
肉体的にも精神的にもかなりきつかったはずだ

 

ところが、入院は数日では終わらなかった
そのため、近くに住んでいた祖母が日中は私に付き添った

 

もう中学3年生、15歳なのだから一人で平気だと言ったのだが、
親としては娘がいくつでも心配だったのだろう
一人でいるときに、もし急変でもしたらどうしよう・・・と
常に心配だったに違いない

 

それでも不安な気持ちを押し殺し、
仕事へと出かけなければならない母
さぞかし心苦しかっただろう

 

私たち家族と母の妹家族、母方の祖父母は
同じ町内に住んでおり、歩いて10分ほどでそれぞれの家を行き来できる場所に住んでいた

 

私には1つ下の弟がいる
叔母にも私よりも年下の子供が2人
母も叔母も毎日仕事をしていた

 

そのため、母たちが仕事をしている間、
孫の面倒をすべてみていたのが祖父母だった

 

帰りが遅い日もあり、
夕飯は祖母が全員分を作る
平日は、祖父母の家で夕飯を食べ
それぞれの家へと帰宅するという日々を送っていた

 

私が入院したことで、
その絶妙な家族バランスが見事に崩れた

 

弟たちが学校から帰宅しても祖母の姿はない
祖父が面倒をみたり、自分たちで協力してこのピンチを乗り切るしかなかった

母が仕事で抜けられなかったため、
叔母が仕事を早めにきりあげ
祖母にかわって夕飯の支度をした

 

私が入院したことで、
大きな負担が家族中にかかることになった

 

みんなに迷惑をかけてしまっている
私のせいで弟たちにもさみしい思いをさせてしまっている
申し訳ない・・・
その気持ちが日に日に強くなっていった

 

何とか一日でも早く退院したい・・・
入院患者であるにもかかわらず、
私は病気ではない、病院ではそんな振る舞いを常にしていた

そんな私に待っていたのは・・・








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