中学生闘病記

中学生闘病記㉑ 私の通知表はオール1 高校進学は無理 病気を理由に私を見捨てた学校 





悪性リンパ腫と診断され、抗がん剤治療を受けていた
そんな私であるが、自分は中学3年生だという自覚があった

 

病気が発覚する前は
目の前に迫りくる高校受験に向けて
必死で勉強していた

 

学校の授業態度もよく、
テストの点数もそれなりにとれていた
夜遅くまで塾に通い、一生懸命勉強し、
それなりに偏差値の高い高校入学を目指していた

 

受験合格に必要な内申点も
9教科で40点以上あった
このまま成績を維持していけば、
合格圏内に入れると言われていた

 

ところが・・・
病気を患っていたことで
私の思い描いていた未来が大きく崩れ去った

ガラガラと容赦なく崩れ始め、
中学3年生、15歳の私の未来は消えた

 

 

当時、内申点を左右するのは、
授業態度と中間テスト、期末テストだった

 

病気の予兆は中学3年生の2学期に起きた
2学期は、中間テストだけは何とかうけることができた
期末テストは担任の先生が病室までテストを持参
後日、母が学校へ届けた

入院してからも勉強はしていたが、
治療もあり、完璧にはテスト範囲を網羅できなかった

 

その結果、
私に下された内申点は驚くほど低くなっていた

でも、この時点では、高校受験を諦めていなかった
退院し、みんなと同じように高校受験するものだと思っていた

 

そんな私に突き付けられた内申点
この時点で授業にも出席できない私を切り捨て、
一気に5段階評価の1をつけた教師もいた
一方で、今までのことを評価し、
5段階評価の3をつけた教師もいた

 

今までの自分のがんばりは何だったのだろうか・・・
目の前の内申点をみて悔しかった
厳しい現実、容赦ない点数のつけられ方にただただ落胆した

 

母は勉強には厳しいほうだった
勉強しなさい、と何度言われたことか・・・

 

ところが、病気が発覚し治療に苦しむ私をみて
母は勉強のことに関しては何も言わなくなった
今まで見たこともない最低点をつけた内申点をみても
何も言わなかった

 

母も私も仕方ないとはわかっている
でも、悔しい・・・
その思いでいっぱいだった

 

そして、3学期の内申点は、
なんとオール1だった
内申点9点
なかなか取れない点数を見事にたたき出した
そして、母と大笑いした

 

抗がん剤治療はこの先も続く
そのため、高校入試には間に合わないことを
母は知っていた

 

それでも、私の将来を見捨てなかった両親
今、勉強できなくても進学だけはさせてやりたい
普通の高校生をさせてやりたい
そう中学校の担任の先生に申し出ていたという

 

ところが、学校から言われた回答は残酷だった
この状況ではどこの高校も推薦できない
それが学校としての回答だった

この時、両親はどんな思いだっただろう
教育現場から見捨てられた娘
娘に将来はないと言われたようなものだ

 

強い憤りを感じたに違いない
高校は義務教育をはずれるとはいえ、教育を受ける権利はあるはずだ
それなのに、娘のために何もしてやれない
両親は私以上に戸惑い落胆したことだろう

病気を患い・・・

 











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